コラム
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ゲームが下手な人はプレイしてはいけないのか?死体撃ちと「努力しない味方」を考える

死体撃ちと協力拒否を、他人の時間という共通軸で考える編集用イメージ
今日もゲームをはじめよう編集部
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いまネット上で繰り返されている「ゲームが下手な人は遊んではいけないのか」という議論を、特定の投稿者やゲームを名指しせず、オンラインのチーム戦で生じる相互責任として考えます。

オンライン対戦ゲームをめぐって、「下手な人はゲームをしてはいけないのか」という議論が繰り返し起きる。初心者が失敗すると、味方から「練習してから来い」と責められる。反対に、勝つために時間を使ってきた人が不満を口にすれば、「ゲームなんだから好きに遊ばせろ」と切り捨てられる。そこへ死体撃ち、屈伸、暴言、放置、利敵行為といった話が混ざり、最後は「上手い人と下手な人のどちらが悪いのか」という乱暴な二択になる。

私の結論から書く。

ゲームが下手であることは、ゲームを遊ぶ資格を失う理由にならない。 初心者にも、反応速度が遅い人にも、毎日練習できない人にも、オンラインゲームへ参加する権利がある。上手さは人格ではなく、その時点での技能にすぎない。

一方で、オンラインのチーム戦では「本人が楽しければ何をしてもよい」とも言えない。勝敗や目的を共有するモードへ自分で参加した以上、最低限のルールを知ろうとし、味方と協力しようとする責任が生まれる。練習不足そのものを罰するべきではないが、協力する意思まで放棄して味方の時間を消費するなら、批判される理由はある。

そして、実力の高い人が弱い相手を死体撃ちし、暴言で萎縮させる行為も同じく許されない。相手を倒した時点で競技上の勝負はついている。そこから先の追い打ちは、勝利に必要な操作ではなく、相手の不快感を自分の娯楽へ変える操作だからだ。

死体撃ちをする熟練者と、協力する気のない味方は、同じ行為をしているわけではない。前者には明確な攻撃性があり、後者には無関心や怠慢がある。ただし両者には、他人の有限な余暇を、自分だけの満足のために使っているという共通点がある。本稿では「上手いか、下手か」からいったん離れ、オンラインゲームで他者と時間を共有するとはどういうことかを考えたい。

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「下手」と「迷惑行為」を分けなければ議論は始まらない

最初に、混同されやすい言葉を分けておく必要がある。

「下手」とは技能の状態だ。照準が合わない、判断が遅い、マップを覚えていない、対戦相手の行動を読めない、装備構成が最適ではない。こうした不足は、始めたばかりなら当然に起こる。経験者でも新しいキャラクターや役割を試せば失敗するし、疲労や体調によって普段の力を出せない日もある。

「協力しない」は行動の選択である。ルールを確認する機会があるのに勝利条件を無視し続ける、味方の作戦を妨害する、劣勢になった途端に操作をやめる、他人に勝たせてもらう前提で参加する。これはエイムや反射神経とは別の問題だ。操作が不得意でも、目標へ向かい、分からないなりに味方へ合わせようとする人はいる。反対に、個人成績が高くても、味方を囮として使い、敗因をすべて他人へ押しつける人もいる。

さらに「悪意のある妨害」も区別したい。わざと敵へ倒される、味方の位置を敵へ教える、進路を塞ぐ、試合を壊す目的で放置する。これは努力不足という曖昧な話ではなく、明確な利敵・妨害行為である。

Riot GamesのCommunity Pactは、「勝つためにプレイする」ことを共同体の約束として掲げつつ、学習中のミスや慣れない役割での失敗と、意図的なフィードや妨害、放置を分けている。この線引きは納得しやすい。負けたという結果だけでは、誠実にプレイしなかった証拠にならないからだ。

一試合のリザルト画面を見ただけで、その人が練習していないとは断定できない。仕事や育児の合間に週一回だけ遊ぶ人もいれば、身体的な事情で操作に制約がある人もいる。十分に練習していても、その試合だけ崩れることはある。研究でも、ゲーム内の個人成績はセッションの長さや状況によって変動し、長時間のプレイで低下する場合が示されている。外から見えるのは、その瞬間の結果までだ。

だから批判の対象は「下手な人」ではなく、観察できる具体的な行為に絞るべきだ。「三回連続で倒された」ではなく「途中から操作を放棄した」、「装備が弱い」ではなく「説明を聞かず、同じ妨害を故意に繰り返した」。この区別を失うと、初心者排除とマナーの話が混ざり、議論はすぐに壊れる。

ゲームは娯楽だが、他人の時間まで私物にはならない

ゲームの楽しさと相手の時間への敬意を両立する姿勢を描いたイメージ
他者の時間を奪わないゲーム参加は、協力の出発点になる。AI生成による編集用イメージ。

「ゲームは遊びなのだから、好きに遊べばよい」という意見には半分賛成する。ゲームは仕事ではない。勝率やランクを上げる義務も、毎日トレーニングを続ける義務もない。疲れた日に気楽なモードで遊び、普段とは違う武器を試し、友人と笑いながら負ける自由がある。

ただし、オンラインへ接続した瞬間から、その遊びには他人が入ってくる。一試合に20分かかるゲームで、自分を含む5人がチームを組めば、チーム全体では100分の余暇が同じ試合へ投じられている。自分の20分だけを見て「好きに使った」と考えると、残る80分が視界から消える。

もちろん、負ければ80分を奪ったという意味ではない。全員が誠実に戦った末の敗北はゲームの一部であり、接戦や失敗にも面白さがある。問題は、共有された目的へ最初から参加する気がないのに、他人には参加しているように見せて拘束することだ。味方は途中で別の協力者へ交代できない。退出すればペナルティを受けるゲームも多い。マッチングには、この見知らぬ人もルールに沿って試合を成立させてくれるだろう、という小さな信用が必要になる。

この信用を「暗黙の契約」と呼んでもよい。細かな戦術へ従えという契約ではない。必ず勝て、足を引っ張るな、ミスをするな、という契約でもない。選んだモードの目的へ向かい、試合を成立させるための最低限の操作を続ける。それだけの約束だ。

Riotの規範も、通常のキューへ参加することを、各プレイヤーが最善を尽くす約束として説明している。同時に、全員が気軽な遊び方を期待できるカスタムゲームやカジュアルな場では、その期待を緩められるとしている。ここで大切なのは努力の量ではなく、参加者の期待がそろっているかどうかである。

死体撃ちは「上手い人の特権」にならない

FPSなどで語られる死体撃ちは、倒した相手のキャラクターへさらに弾を撃ち込む行為を指す。ゲームによって意味や文化は少し違い、仲間内の冗談として成立する場面もある。それでも、面識のない相手に行えば侮辱と受け取られる可能性が高い。勝敗に必要な行為ではなく、相手へ何らかの感情を伝えるための身振りだからだ。

「昔からある文化」「煽りも含めて対戦ゲーム」「嫌なら気にしなければよい」と擁護する人もいる。しかし、受け手が不快になることを見越して行うなら、まさにその不快感が目的になっている。相手が気にしなかった場合、煽る側が望んだ効果は発生しない。つまり死体撃ちの娯楽性は、相手の感情を勝手に材料へ変えることで成立している。

競技には相手が必要だ。初心者、平均的な人、熟練者が同じゲームへ参加するから、対戦人口が維持され、同程度の相手ともマッチングできる。実力差がある相手を倒した後に尊厳まで削ろうとする行為は、自分が遊んでいる場を長期的に痩せさせる。強い人ほど多くの選択肢を持ち、試合の空気へ与える影響も大きい。そこで求められるのは初心者を甘やかすことではなく、勝負が終わった後まで攻撃を延長しない節度だ。

Xbox Community Standardsは、公正な競争、他者への助力、勝敗にかかわらないスポーツマンシップを求めている。また、軽いトラッシュトークと、個人を狙い撃ちして居場所を奪うような行為を分ける。対戦の熱さと、相手を人として傷つけることは同義ではない。

死体撃ちや暴言を受けた人が、次の試合で別の相手へ同じことを返す場合もある。オンラインゲームの有害行動を扱った研究では、毒性がチームや集団の中で伝播しうること、敗北や技能差がその温床になりやすいことが報告されている。たった一度の煽りを「その場のノリ」で済ませても、受けた側の苛立ちは次の試合へ持ち越される。短い操作が、関係のないプレイヤーの時間まで悪化させるわけだ。

「うまくなる努力をしない味方」はどこから問題になるのか

初心者が練習場で目的物への動き方を確認する編集用イメージ
求められるのは上位者と同じ技能ではなく、選んだモードへ参加するための準備だ。AI生成による編集用イメージ。

では、下手な人には何の責任もないのか。私はそうは思わない。ただし「上手くなる努力」という言葉を、そのまま使うのは危険である。

努力には上限を定められない。攻略動画を一本見れば十分なのか。射撃練習を毎日30分するべきか。上位ランクへ到達するまでカジュアルから出てはいけないのか。基準を熟練者側だけで決めれば、要求は際限なく上がっていく。余暇の量、学習速度、身体能力は人によって違うため、投入時間を道徳の物差しにするべきではない。

それでも、チーム戦へ参加する前に求められる準備はある。勝利条件を知る。自分の役割を一度は確認する。最低限の操作をチュートリアルで試す。分からない指示が来たら、可能な範囲で反応する。失敗を味方のせいにしない。今は協力する気分ではないと自覚しているなら、ソロや自由度の高いモードを選ぶ。こうした行動は、上位プレイヤーになるための訓練ではなく、他人と同じ卓へ座るための準備だ。

たとえばサッカーを楽しむ人全員が、走り込みや戦術研究を日課にする必要はない。しかし、試合へ参加してボールを一度も追わず、気が向いた時だけ味方の邪魔をするなら、「下手だから仕方ない」では済まない。オンラインゲームでも同じである。技術が足りないことと、ゲームを成立させる意思がないことは別だ。

Blizzardの利用規約は、他者の体験を損なう嫌がらせやグリーフィングに加え、意図的・反復的にチームを妨げる行為、放置や切断を禁じている。ここでも焦点はプレイヤーのランクではなく、試合を損なう行為に置かれている。

私が批判したいのは、上達の速度が遅い人ではない。自分でチーム戦を選びながら、そのモードが他人との協力を前提にしていることだけを無視する態度だ。「自分は楽しいから」と言って、味方をNPCのように扱う。その瞬間、本人の娯楽は他人の負担によって支えられる。

ただし、ここでも断定には慎重でありたい。ミスを二度繰り返した、返事がなかった、装備が定番と違った。それだけで協力する意思がないとは判断できない。ボイスチャットを使えない環境かもしれず、定番とは違う戦術を試しているのかもしれない。故意かどうか分からない時は、まず短く具体的に伝える。それでも明白な放置や妨害が続くなら、ゲーム内の通報機能へ任せる。暴言による私刑は、問題をもう一つ増やすだけだ。

二つの行為は同罪ではない。それでも同じ物差しで考えられる

死体撃ちと協力拒否を並べると、「被害者への嫌がらせと、ゲームが不得意な人を同列に扱うのか」という反論があるだろう。その批判はもっともであり、両者を同罪と扱うべきではない。

死体撃ちは、相手を不快にさせる意図が比較的読み取りやすい。暴言や差別発言まで伴えば、被害はさらに明確になる。協力不足は、知識不足、判断ミス、通信環境、体調などと見分けにくい。行為者の内面も、被害の強さも違う。運営が科す処分も当然変わるべきだ。

それでも二つを同じ文章で扱う意味はある。共通の判断基準が「相手の時間を一人の人間の時間として扱っているか」だからだ。

死体撃ちをする人は、相手が対戦を楽しむために使った時間へ、不要な侮辱を上乗せする。協力を最初から拒む人は、味方が成立した試合を期待して差し出した時間を、自分だけの遊び方へ転用する。前者は攻撃、後者は負担の押しつけである。形は違っても、相手を意思のある参加者として見ず、自分の体験を作る道具として扱う点で重なる。

ここで「時間を毀損する」という表現は、負けた時間を無価値とみなす意味ではない。ゲームの価値は勝敗だけにない。互角の試合、予想外の逆転、笑える失敗、初心者が少しずつ理解していく過程にも十分な価値がある。失われるのは、結果ではなく、互いに同じゲームへ参加しているという信頼である。

カジュアルとランクでは、求められる誠実さの形が違う

ゲームモードによって期待されるプレイ態度が変わることを示すイメージ
同じゲームでも、場面ごとに求められる協力の密度が変わる。AI生成による編集用イメージ。

この議論で見落とされがちなのが、モードごとの目的だ。

ソロプレイでは、基本的に好きな遊び方を選べる。カスタムマッチで全員が同意しているなら、縛りプレイも、ふざけた装備も、勝利を目指さない散歩も成立する。友人同士で死体撃ちを冗談として受け入れているなら、外部の人が一律に禁止する必要もない。

野良のカジュアルマッチでは、期待の幅が広い。初心者、練習中の人、短時間だけ遊びたい人が混ざるため、熟練者は完成された動きを要求しすぎない方がよい。初心者側も、カジュアルだから放置してよいわけではない。勝利条件には参加しつつ、新しい武器や役割を試す。互いにその程度の余白を認める場である。

ランクマッチや大会形式では、勝利を目指す期待が強くなる。参加した以上、現在できる範囲で勝つために動く責任がある。とはいえ「最適解以外は禁止」ではない。戦術には複数の考え方があり、判断の遅れや失敗も競技の一部だ。求められるのは結果としての強さではなく、その試合へ向き合う姿勢である。

固定チームでは、さらに事前の合意が大切になる。勝率を最優先するのか、友人との時間を優先するのか、どの程度の練習を期待するのか。ここを話さないまま、片方は部活動のつもり、もう片方は雑談のつもりで集まれば、どちらも相手へ不満を持つ。価値観が違うこと自体は悪くない。合わない目的を黙って押しつけると問題になる。

「ゲームは遊びだ」と「勝つ努力をしよう」は両立する。遊びには、自由な即興もあれば、ルールを守って競う面白さもある。どちらを選んだかによって、周囲へ示すべき配慮が変わる。

熟練者、初心者、運営にできること

経験差を超えて情報を分かち合うチームプレイの場面を示す編集用イメージ
熟練者と初心者が同じゴールに向けて役割を調整する。AI生成による編集用イメージ。

この対立を個人の良識だけへ任せても、同じ衝突が続く。プレイヤーと運営の三者に、それぞれできることがある。

熟練者に求めたいこと

まず、失敗と妨害を分ける。一回の判断ミスへ「向いていない」「辞めろ」と返しても、味方の判断は改善しない。「右の目標へ寄ろう」「次は回復役を先に守ろう」のように、次の行動へ結びつく短い言葉の方がよい。教える余裕がない時は、無理に指導者になる必要もない。ミュートや通報を使い、報復の暴言を増やさないだけで十分である。

また、初心者の多いモードへ自分から入り、期待どおりに動かない相手を嘲笑するのは筋が通らない。自分の求める競技性に合うランクや固定チームを選ぶ責任は、熟練者側にもある。強さは発言の正しさを保証しないし、弱い相手へ礼節を捨てる免許にもならない。

初心者・学習中の人に求めたいこと

謝り続ける必要はない。ゲームを始めたばかりであることも、上達に時間がかかることも恥ではない。そのうえで、チュートリアルを終える、勝利条件を読む、役割の基本を一つ覚える、ピンや定型文に反応する。全部を一度にこなせなくても、試合へ参加する意思は行動で伝わる。

暴言を受けた時に、相手の要求をすべて正当だと思う必要もない。具体的な助言だけを拾い、人格攻撃はミュートしてよい。自分の失敗を認めることと、自分の尊厳を相手へ明け渡すことは違う。

運営・開発者に求めたいこと

プレイヤー同士の摩擦には、設計が生む部分もある。チュートリアルで勝利条件を十分に教えないままランクへ入れる、実力差の大きい人を同じ試合へ集める、練習目的と勝利目的のキューを分けない、通報しても結果が見えない。こうした環境では、個人の寛容さだけでは限界がある。

初心者向けの段階的な導線、役割別の練習、目的を明示したマッチング、復帰者向けの再学習、故意の放置や妨害を検出する仕組みが必要だ。ボイスチャットを使えない人でも意思を伝えられるピンや定型文も欠かせない。技能差を人格の衝突へ変えない設計は、コミュニティの人口を守ることにもなる。

「楽しむ権利」と「不快にならない権利」は万能ではない

もう一つ整理したいのが、「楽しむ権利」という言葉だ。誰もがゲームを楽しんでよい。しかし、自分が楽しむためなら他人を侮辱してよい、味方を拘束してよい、という権利までは含まれない。

同時に、「自分が不快にならない権利」も無制限ではない。オンライン対戦では負ける。味方はミスをする。自分と違う戦術を選ぶ。期待した連携が成立しないこともある。それらすべてを時間の毀損と呼び、他人へ完璧なプレイを要求すれば、今度は要求する側が他人の余暇を支配する。

守るべき線は、感情を一度も乱さないことではない。競争から生じる悔しさと、人が意図的に加える侮辱を分けること。能力不足による失敗と、参加姿勢の放棄を分けること。この二つの区別ができれば、相手を排除する前に、何が起きたのかを具体的に話せる。

オンラインの有害行動に関する研究では、暴言や嫌がらせを受けた人が、ミュート、コミュニケーションからの撤退、ゲームからの離脱、時には報復を選ぶことが示されている。ひとりの「楽しみ方」が、他人の発言や参加そのものを消してしまうなら、コミュニティ全体の損失になる。

結論――求めるべきは勝利ではなく、誠実さである

勝敗より信頼を優先するゲーム空間を象徴する編集用イメージ
記事の結論を支える、誠実さ中心のゲーム観のイメージ。AI生成による編集用イメージ。

ゲームが下手な人は、ゲームをしてはいけないのか。答えは明確に「いいえ」だ。遊ぶ資格をランク、勝率、反応速度で決めれば、新しく始める人は誰も参加できない。失敗する権利、学ぶ権利、気楽に遊ぶ権利は守られるべきである。

それでも、他人とチームを組む場では自由に小さな責任が伴う。選んだモードの目的を理解しようとする。現在できる範囲で協力する。故意に試合を壊さない。味方を自分の娯楽のための部品として扱わない。これは高い技術を求める話ではなく、他人の時間を人間の時間として扱う話だ。

熟練者にも同じ責任がある。勝った相手を死体撃ちしない。ミスをした味方へ人格攻撃をしない。自分の知識量を参加資格の基準にしない。強い人が節度を示せば、初心者は失敗から学びやすくなり、次の試合の対戦相手や味方として残ってくれる。

私なりに一文へまとめるなら、こうなる。

味方に約束するべきなのは勝利ではなく誠実さであり、相手に約束するべきなのは無限の我慢ではなく敬意である。

下手でもよい。負けてもよい。新しい戦術を試してもよい。だが、他人の時間を使って遊ぶなら、その人もまた自分と同じように、限られた一日から時間を切り出してここへ来たことだけは忘れない方がいい。ゲームの上手さより先に必要なのは、その想像力だと思う。

参考資料

本稿の事実確認には、各社のコミュニティ規範とオンラインゲームの有害行動に関する研究を参照しました。規範的な結論と意見は、今日もゲームを始めよう編集部によるものです。

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ABOUT ME
きーる
きーる
社畜ゲーマー
3歳頃から共にゲームと育ってきた。 残業は36協定ギリギリなのでゲームをする時間がない。が、ゲームのない人生は考えられない。俺は今日もゲームをやる!!
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